2008.06/10(Tue)
痛ましい事件のあとだからこそ、踏みとどまって考えたい。

電気街として今や世界的に有名な秋葉原は、
言うなれば家電に強い日本の、象徴の地なのかもしれません。
凶悪な犯罪とは、あまり関係のない場所と思っていただけに、
昨日起きてしまった無差別殺人事件には、愕然としています。
まずは被害に遭われた方へ、心からお悔やみを申し上げます。
事件を悲しく思うとともに、再びこういった不幸の起きないよう、
わずかでもましな方向へと、世の中を進めてゆかなければいけないと思います。
しかし人を不安にさせ、心を大きく揺さぶる悲劇の後だからこそ、
その気持ちに振り回されての、短絡的な判断や行動は厳に慎みたいです。
関東大震災直後に、冷静さを失って私刑を行ったことからも、学ぶべきでしょう。
まずは何が起きたのか、背景にはどんなものがあったのかを、
メディアの伝える事実、そして様々な立場からの声をふまえたうえ、
各自が結論を急がず、自分の頭で考えていくことが大切ではないでしょうか。
今回、逮捕直後の犯人が口にしていた言葉としては、
「世の中が嫌になった。生活に疲れてやった。誰でもよかった。」
と朝日新聞にありました。派遣社員として働いていた25才の男だそうです。
また、法務大臣の鳩山邦夫(自民党)の発言としては、次のようにありました。
「私が粛々と死刑を執行させていただいていることを『司法的殺人』と書く
マスコミもある。それは違う、人の命を大切に思えばこそだ」
「昨日も大事件があったが、人の命を奪うような人にはそれなりのものを
負ってもらおう。それは日本人として当然の考え方だと思う」(朝日新聞)
あとは個人的に併せて考えたいと、特にここ最近感じていることを、
いくつか挙げさせて下さい。もちろん当否については、見方によりいろいろでしょう。
後期高齢者制度や非正規雇用の増大で、追い詰められる立場の弱い側。生存権とは一体?
相次ぐ公務員の、納税者を見下しているとしか思えない振る舞い。天下りは全力で温存。
親の跡を継いで代議士になった、資質や適性の疑わしい多くの伝統的政治家。
現に冤罪事件を起こしているのに、取り調べの録画を嫌がり骨抜きを図る警察。
全体主義で多くの人を苦しめてる社会、過去にそうだった社会。そちらへ傾きつつある社会。
選挙制度はあっても政権交代が半世紀以上ない某国は、国家の運営自体が長期の随意契約では?
秋葉原の事件に限らず、なにやら最近、心配になる動き、
目に余る許しがたい振る舞いが、あまりに多すぎます。
それぞれにどんな意味があるのかを、冷静に読み解いてゆかねば。
そして現在から地続きの来るべき未来へ対して、何らかの主体的な関与を望むのなら、
私たち自身が命ある間でないと、抱いた願いが持ちうる意味は、格段に薄らぎそうです。
先日他界した祖母が、戦争突入前の日本社会を振り返り、語った言葉が忘れられません。
「誰も戦争しようだなんて思ってなかったのに、 あれよあれよという間に
あんな事になっちゃったんだ。えらいこった。」
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